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ボランティア部


2016年8月熊本ボランティア後班(H1麻生)

熊本ボランティア活動について

大阪星光学院高等学校 高1 麻生雅裕

  今回の熊本でのボランティア活動では驚くことがたくさんありました。熊本に行った初日は大型タクシーをチャーターして様々な被災地を訪れました。その中には南阿蘇村も含まれていました。南阿蘇村は今回の地震による土砂崩れによって崩落した阿蘇大橋がある所です。最近この土砂崩れで行方不明になっていた大学生の大和晃さんが発見されたことで再びニュースになりました。ニュースを見ているだけではこの状態がどのような状態なのかよくわからなかったのですが、生で見てよくわかりました。最初に感じた率直な感想は「これはやばいな」でした。最初はあまりにも衝撃的すぎてこれしか感じることができませんでした。本当に人生で初めて唖然としました。そこにあるはずの全長約200mの橋がきれいになくなっていたのです。下を覗いてみると岩肌が丸見えの崖でした。下には勢いよく川も流れていました。これに巻き込まれたら生きては帰ってこられないなと思いました。橋のすぐ横にある駐車場のコンクリートにはヒビが入り、斜めに傾き、人の身長程のずれがありました。またその周りには東海大学の学生寮があり、それもとても悲惨な状態でした。窓ガラスは割れ、壁にはとても大きなヒビが入り、斜めに傾いていました。

その後、とてもひどい被害を受けた地域に行きました。そこは別荘地だと思われるところでした。その中で最も驚いたのは車が潰れているところでした。恐ろしいくらいにぺちゃんこになっていました。家も大きくヒビが入っていたり、一階部分が潰されていて無かったり、沢山の土砂が入っていたりしていました。そのような家には赤い紙が貼ってあり、中に入るのは危険だと書いてありました。この一日で感じたことは復興されているところは復興されているが、まだ手付かずのところもあるということでした。

空港から車で出て10~20分くらいは4ヶ月前に地震があったと思えないくらいきれいな田園風景が広がっていました。大阪にはない広大な田んぼがありました。都会にはない田舎ならではの日本の風景でした。本当にここは熊本なのか目を疑いました。そのときは復興がだいぶ進んでいるのだろうと思いました。しかし実際はそのようなことはありませんでした。そこで私は自分の無知さを思い知らされました。

私たちがお世話になったカリタス福岡・熊本支援センターでは私たち以外に数名のボランティアの方がいて、その人たちとお話をさせていただいたのですが、皆さん様々な気持ちでボランティア活動に参加しているのだなと思いました。

二日目は全国から送られた沢山の食器を仕分けし段ボール箱に詰めるという作業をしました。とても沢山の食器があり、それをお皿やコップや茶碗などに分別して箱に詰めるのですが、中にはとても汚れているものや欠けていたり割れていたりしているものもありました。また中には結婚式の引き出物のような、いらなくなったものを送ったり、お猪口や徳利のような被災地では絶対に必要のないものを送っている人もいました。被災者や被災地のこと思って支援物資を送ってくれるのはいいことだと思うが被災者のことを思うなら本当に必要にされているものを送って欲しいです。

その日の夜、大久保先生のご友人である加藤理人さんのお話を聞きました。加藤さんは元星光の教師で元々は神父でもあり、今末期のがんで余命宣告をうけた患者さんのためのいわゆるホスピスでカウンセラーとして働いています。その病院は熊本にあり熊本の震災の被害を受けました。震災当初は電気も通らず水もないためとても大変だったようです。電気はしばらくして通ったのですが、水はなかなか来なかったようで小学校のプールの水を汲んで病院まで運んできていたようです。それはとても大変な作業だったようです。また病院のスタッフも地震の影響で仕事が忙しく何時間も仕事してから土砂崩れでつぶれた阿蘇大橋を通れば30分で帰れる道を暗い山道を2時間30分かけて帰って家で少し仮眠を取ってからまた2時間30分かけて病院に行くという生活が少しの間続いたようです。加藤さんは英語やイタリア語などいろんな国の言葉を話すことが出来るので熊本に住んでいる外国人のケアをしていたようです。震災当時、彼らは日本語が理解出来ないので情報がわからずに非常に困っていたそうです。彼らのカウンセリングをした所には沢山のカップ麺があるのに誰も持って帰ろうとはしませんでした。なぜなら彼らはイスラム教徒だからです。豚に関連する食品は口にはできません。彼らのおなかはとても空いているはずなのに彼らは信仰を優先しました。日本人には理解しにくいことだが世界の人々には自分の考えることが通用しないことを理解しなくてはならないということを加藤さんは言っていた。国際社会を生きている私たちには必要な考え方であると思う。

三日目は支援物資の仕分けと運搬、仮設住宅の日用品の運搬をしました。まず、体育館に大量にあるおむつや粉ミルクや服などが無造作に積まれてあり、それを新しい段ボールに入れ替えてトラックに入れるという作業をしました。しかし、服やおむつ以外にも体育館にはガスコンロやマットなどがあったのですが、それは多分捨てられるだろうということでした。しかも私たちが仕分けした服などもほとんどが捨てられるだろうということでした。全国から送られてくる支援物資の量が被災地が必要としている量を大きく上回ったり必要とされているものが違っていたりしているという問題が発生しており深刻な問題となっているのが現状です。またその影響でたくさんのごみが出るというごみ問題も発生しています。支援物資の量が多すぎることや必要とされていないというのはとても難しい問題だと思います。これを解決するには正しい情報を同じ所から出すことだと思います。

 

その日の夜、小学校の先生をしている倉岡先生にお話を聞きました。倉岡先生は震災当日、学校にいたそうです。新学期が始まり仕事が忙しかったそうで、学校で仕事をしている時に地震が起こったそうです。揺れている間を物理的にも精神的にも身動きが一切取れないみたいだ。たくさんのこの地震の経験者がみんな言うのが死ぬかと思ったということだ。ほんとうに死を覚悟したと言っていました。その日は全く寝ることが出来なかったと言っていました。その次の日もまた地震が起きましたが、全く予測することが出来なかったといっていたので二回目の地震が起きたときのほうが怖かったといいます。その後も避難所が学校になったのでその手伝いをしている中で感じたのがシステムがちゃんとしてないのが問題であるということでした。行政からの支援や情報がちゃんと伝わらないのです。災害時のマニュアルは存在しているのだがそれがちゃんと機能していない状態のようだ。そのときに必要となるのが想定外のことが起こった時にそれに対応する能力が必要になっていると倉持先生が言っていました。本当にその通りだなと思います。災害時のマニュアルがちゃんと機能されないのも大地震を想定することが出来なかったことにあると思います。そこで想定外のことが起きたときに的確な指示を出せる人材が今の日本には必要だと言っていました。そのような人材を育成するのが教師に課せられた使命であると言っていました。

四日目は星光の他のメンバーとは違って私は避難所に行きました。避難所は私がイメージしていた通りの感じでプライベートが全くなく、生活するにはだいぶ不便なところだとは思いましたが、それ以外は冷房も効いていてとても涼しく、テレビもあり、そのような面では想像以上に良いところであると感じました。避難所に来てまずトイレ掃除をしてからその後、お風呂掃除をしましたがお風呂の印象は言葉通りの簡易お風呂なんだなという感じです。しかしボランティアの人たちが毎日掃除しているだけあって、とても清潔でした。お風呂以外にもシャワー室が三つあるのだがそれもきれいで良い印象です。その日は避難所からみなし仮設と言って国が無償でアパートやマンションの一室を貸すという制度があるのだがそこの復旧が済んだのでそこに引っ越す人が二組いました。一つは老夫婦でもう一つは小学生と中学生の姉妹がいる家族でした。だんだんと引っ越しできる人が増えていっているこの状態は好ましいようで避難所の職員の人も寂しくなるけどうれしいことだと言っていました。

この四日間を通して思ったことはまず行かないと分からないことがたくさんあるということです。熊本の新聞では必ず一ページ目に地震のことが書かれてあるのに大阪のニュースや新聞では地震のことが全く取り上げられていないのです。正直言われるまでこの地震が起きたのが4ヶ月前だとは思えなくて、もっと昔のことだと思っていましたし、普通にもう復興しているものだと思っていました。自分の考えと現実のギャップに衝撃を受け、また、現状を見てものの見方が変わったような気がしました。そのなかでいろいろな課題や問題点があることを知ることで来ただけでも大きな勉強になったのではないかなと思います。このボランティアは私の人生の中で大きな意味を持つものだと感じています。

2016/09/20