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ボランティア部


2016年8月熊本ボランティア後班(H1鶴田)

熊本ボランティアに参加して

大阪星光学院高等学校 高1 鶴田匠

824日から27日の4日間熊本に滞在し、25日からの3日間ボランティア活動に参加させていただきました。

1日目】

 熊本に着いて昼食をとったあと、熊本の見学をしました。ルートは被害の少なかった菊池市から益城町、西原村の北側を通って熊本地震で崩落した阿蘇大橋のある南阿蘇村に向かうというものでした。最初は被害の少ない所を通りましたが地震の痕跡はほとんど残っておらず、主に使われる大きな道路の脇には茶畑などがずっと広がっていていました。大地震があった県とは思えないほど、きれいな景色が広がっていました。

 しかし、南阿蘇村に入ると一変しました。道は車に乗っていると上下に跳ねてしまうほどでこぼこになっていて、道路に書かれている白いラインもグネグネになっていました。地盤が大きく露出していて、コンクリートで車が通れるように坂が造られているところさえありました。また景色も瓦が飛んで屋根にビニールシートが被せられた家、潰れたままの家、土砂崩れで地盤が露出したままの山などが見られ被害がそのまま残っていました。昼間だったのですがボランティアの人が活動している所は一部でほとんどが放置されたままでした。

 傾いた家、潰れた家、崩れた阿蘇大橋を見ても現実とは思えなかったので地震が起きたんだという実感は湧きませんでした。初めて実感が湧いたのは道路が崩落し、道路の下の地盤から植物の根っこが出ているのを見たときでした。ボロボロになってしまった道路を自分の脚で思いっきり踏んでもビクともしませんでした。それだけ丈夫に出来た道路を潰してしまう地震の大きさを感じました。

 その後、土砂崩れで流れてきた土砂によって潰れてしまった家が集まった場所に行きました。家は土砂が流れてきただけでなく、揺れによる被害もあったので家が横にずれて鉄骨がでていたりしました。車もペシャンコになったり、フロントガラスが粉々になったり、ワイパーがフロントガラスに刺さったりしていました。危険な事を表す紙が貼られた家が多くあり、ほとんど手つかずで人もあまりいませんでした。

 この日の夕方は加藤さんという方に来ていただき話をしていただきました。一番加藤さんの話で印象に残っていることは「人は慣れてしまう」ということです。人は一度太ってしまっても生きていければ痩せようとしない、それと同じように被害が残っていても生活していければ復興させていこうとあまりしないようです。ある看護師さんは阿蘇大橋を通って病院に通勤していて30分で移動出来ていたのですが、阿蘇大橋が崩落してしまってからは2時間30分病院に行くのにかかっています。普通に考えれば大変なのですがその看護師さんは慣れてしまったのであまり苦に感じていないようです。実際、阿蘇大橋が崩落した代わりをどうするかはまったく決まっていません。また、現地の人は自分の仕事があるので復興に携わるのは難しい、だから外の人がボランティアに参加するのが大切なんやとおっしゃっておられました。テレビでほとんど熊本について報道されていない今、自分もこんなに被害が残っているとは知りませんでした。災害後すぐに報道して情報を回すことも大切ですが、いかにその後も報道を続けて人がどれだけ必要なのかを伝えることが大切なのかを考えさせられました。たまたまタクシーの中のテレビで震災から4か月たったということで特集が組まれていましたが、熊本のローカル番組だったのでほとんど熊本県外には情報が無いといっていいと思います。

2日目】

 初めてのボランティア活動は西原村のボランティアセンターで、送られてきた食器類をコップ、小鉢、平皿、調理器具など7種類に仕分けする「お茶碗プロジェクト」に参加しました。3団体計29人で行いました。僕はコップを集めて箱に詰める作業を担当しました。

 4か月たった今も多くの食器が残っていて仕分けが終えてあるものもたくさんありました。仮設住宅に入ることがしやすくなった今こそ、食器類が多く必要になるんだなあと感じました。

 コップでは湯のみ、グラスコップといった日常生活でつかえるものが多くあった一方、ワイングラスがコップの2割弱を占めていました。ワイングラスの入った箱を見ると引き出物であることがすぐわかりました。仮設住宅でワインを飲む人はそういないと思います。またワイングラスは普段のコップとして使うには不便です。このような被災者のことを考えず、使わないものを処分するために送っているように感じるものが他の分類の所でもありました。当たり前のことですが寄付は相手のために行うことということを改めて認識しました。自分も熊本に食器を送るとしたら使っていないものを送ると思います。そこで一回考えて相手は何が必要なんかなと考えられるか、自信をもてませんでした。

 一方、食器と一緒に手書きの手紙を入れている方もいました。寄付した人に熊本を応援していない人はいないと思いますが手紙が入っているとと食器だけ入っているのと比べて心に響き、自分でも手紙を読んでうれしかったので被災者の方も手紙を読んだらうれしいと思います。相手を思った支援と自分のための支援があるのだと感じました。 

3日目】

 西原村の避難所に訪ね,ボランティア活動をしました。避難所には定年を過ぎても働きたい高齢者に介護などの仕事を提供する生活支援促進機会施設が使われ、27世帯48人が生活しています。48人は発砲スチロールの壁で仕切った講堂と畳の和室に分かれて生活しており、講堂と和室以外にはテレビがあるちょっとしたリビングがありました。

 最初に男女トイレと共同トイレの掃除を行いました。すぐに目に付いたのが便器の前の壁に除菌剤、消毒剤など衛生面を保つためのものがたくさんあったことです。すぐに視界に入るところに置かれていて、誰でも何に用いるものなのか、どう使うのかがわかるように手書きで説明が書かれていました。どれだけ感染症に気を付けているかがわかったので自然と強い責任感を持ってトイレ掃除に取り組みました。

 1時間ほどトイレ掃除をした後は風呂掃除とシャワー室の掃除を行いました。避難所では男性と女性が一日ごとにシャワーとお風呂が交互に使われています。

避難所のお風呂

 お風呂は避難所の玄関前にある駐車場の一部にテントを張って床にプラスチック製のゴザをひいて作られています。初めてお風呂を見たときショックを受けました。浴槽はビニールシートだけでできていて、家用のプールを大きくしたようなものでした。浴槽で一番気になったのは深さです。プラスチック製の板にビニールシートを被せただけだから床が硬いというのもありますが、深さは僕が三角座りしても目の高さまで浸ってしまうぐらいの高さがありました。浅く湯を張ればお尻をつけて入浴することはできますが、立ち上がる時に手を置く場所が高くなってしまいます。避難所には高齢者が多いのでかなり入浴は大変だと思います。そしておふろは直射日光とお風呂の湿気によってサウナの様な状態になってしまっていました。お風呂は15時から入れるのですが、まだ暑いので15時になって入りに行く人は数人しかいませんでした。お風呂掃除も洗剤で洗った後、日光消毒を行い感染症対策が徹底されていました。

 シャワー室はお風呂のあるテントの横に建てられていて3か所使えるようになっていました。屋根は鉄板だったのでお風呂と同様蒸し暑くなってしまっていました。印象としては少し狭いように感じました。高さは身長に肘から手首の長さを足したぐらいで横は僕二人分ぐらいでした。しかし、座って洗えるように椅子があったりかべにでこぼこを付けて持つところをつくったりと、おふろよりは使いやすい気がしました。

 昼食をとった後は講堂のそうじを行いました。ちょうどそのときにリハビリセンターの若い男性が二人来られて6人の高齢者と輪を作って簡単な運動をかねて風船バレー、玉転がしなどの遊びをしていました。この男性二人は週に一回避難所に来られていて、避難所の方々が運動するのを手助けしています。この活動の凄いなと思った所は運動を交えると自然と会話が増えるというところです。二人が来られる前は昼食中も各自のスペースで黙って食べられていて、昼食後も2、3人しか話していませんでした。が、二人が来られてからは別人になったようにはしゃがれて、会話も増えていました。参加されていなかった方もその前を通ると参加している方々に声をかけていたので講堂全体がにぎやかになっていました。自分もそこに参加させていただきましたが、それまで話しても弾まなかった会話が弾んで、運動の力を感じました。

 講堂の掃除が終わると避難所での活動も終了しました。宿舎に戻る前に仮設住宅に行く方がいたので仮設住宅にお邪魔させていただきました。木造と鉄板がある中でその仮設住宅は木造でまだ暑さがましな方らしいのですが、入るとじめじめした暑さがありました。クーラーをつければ涼しくなるらしいのですが「電気代がかかるから」とおっしゃっていて、あまりクーラーはつけられないそうです。また換気扇のボタンが高いところにあって料理する時もつかえないそうで、仮設住宅に入っても生活が快適になるわけではないことを体感しました。

 この日の夜は小学校の先生をなさっている倉岡先生が来てくださり、話をしてくださりました。印象に残っているのは加藤さんの話でも出てきたのですが「二回目の地震の時は死ぬかと思った。そして二回目の後の地震はずうっと揺れていた」ということです。熊本地震では14日に発生したマグニチュード6.5の前震、16日のマグニチュード7.3の本震の二回大きな地震が起きました。グランドが波打つのが目でわかったそうです。自分が熊本で見た被害はほんの一部なんだと感じました。

4日目】

 最終日は南阿蘇村の住宅に訪ねて、雨が降った時に家が浸水しないように穴を掘ること、そして床下に溜った土をかき出す作業をしました。その住宅は土砂崩れした山の麓にあって、流れてきた土砂がたまっていました。

昼休憩の時に山に行って土砂崩れで抜けた木がたまっている所を見に行きました。そこも震災後そのままにされているようでしたが、そこに行くまでの道は軽自動車が何とか通れるぐらいの幅しかなく、山に生えている10mぐらいの木をどうやって運ぶのだろうと思いました。木は山積みになってどこから手をつけたらいいかわからない状態でした。

【最後に】

 今回宿泊したカリタスでは毎日夕食前に分かち合いがあり、一人ひとりがきょうの活動で感じた事を話す時間がありました。そこで思ったことは一人ひとり同じものを見ていても感じることは違うということです。

 いっしょに避難所に行った子が「避難所にいる人は待つことしかできない」といったのだが、まったく自分は気づきませんでした。ご飯の時間を待つ、お風呂の時間を待つ、仮設住宅ができるのを待つというようにほとんど自分から行動することはできません。自分は避難所にある物ばかり見ていましたが、その子は避難所にいる人を見ていたということだと思います。いろいろな視点を知るために分かち合いは大切なんだと感じました。

 今回の活動を通して熊本の今を伝える事、そして熊本に行った人が何を感じたのかを共有する事が出来たらうれしいです。

2016/09/20